文学の蔵とは

    文学の蔵事務局 小池平和

 「一関に、半径二百キロくらいの文化の波をせきとめ、そこか
ら東京や他都市に押し流すような、そんな文学拠点があってもい
いのではないか。東北の一小都市であってもなんの不思議もない。
その位置、規模から、かえって面白いことができるかも知れない」
 一関の文学の蔵建設運動の強力な助っ人・井上ひさしさんは、
そうおっしゃって励ましてくれています。          

 一関に「文学の蔵」を建設しようと運動がはじまったのは平成
元年の春。その前年、市内にあった明治時代の三階建ての珍しい
土蔵が都市計画によって壊される運命になったとき、土蔵の持ち
主の祖先が島崎藤村滞留先の豪商「熊文」の親戚だったことなど
から、貴重な文化財の消滅を憂えた有志が「文学関係の記念館と
して活用できないものか」と提案したのが、そもそものきっかけ
でした。                         
 一関には、島崎藤村が明治二十六年、熊文家の熊谷太三郎の家
庭教師として半月ほど滞在したほか、幸田露伴、北村透谷、田山
花袋、井伏鱒二、舟橋聖一といった高名な作家が訪れ、作品にも
一関のことを触れています。また、俳界の鬼才として知られる加
藤鍬邨は中学生時代を一関ですごし、冒頭に紹介した井上ひさし
さんも中学三年生の半年間を一関で送っています。      

 文学の蔵運動がはじまったその年、『狂人日記』や『麻雀放浪
記』などで知られる色川武大氏(別名・阿佐田哲也)が、一関に
転居し、まもなくこの地で亡くなり、遺族のご好意でその遺品は
そっくり一関市に寄贈されました。             

 一関と文学とのかかわりは、それだけではありません。一関生
まれの蘭学者・大槻玄沢の孫・大槻文彦は日本の近代辞書の原点
といわれる『言海』『大言海』を編纂、のちの文学者の座右の典
籍として活用されたことは、知る人ぞ知る歴史の大切な一ページ
です。                          
 さらに、一関ゆかりの現代作家の活躍は目を見張るものがあり
ます。三好京三、及川和男、光瀬龍、内海隆一郎、遠藤公男、中
津文彦、星亮一、志賀かう子、馬里邑れい、などなどで、それぞ
れジャンルが違い、その数、個性の多彩さは、とても地方六万都
市とは思えないほどです。                 

 こうした文学風土から必然の運動として「文学の蔵」建設運動
が起こったといえます。                  
 ハードの「蔵」づくりは、まだ民間レベルの構想段階ですが、
過去十年近い運動の中で、井上ひさしの日本語講座を四回開き、
ゆかりの作家連続講演会、言海刊行百周年記念シンポジウム、芭
蕉行脚三百年記念事業、島崎藤村一関曽遊百年・没後五十年記念
事業、詩の朗読会、文学の旅などさまざまなイベントを開催し、
全国に広くその名を知られるようになってきました。     

 地域文化を他との交流によって現代感覚で醸成し、それを送り
出していこうというのが「文学の蔵」のねらいで、絶えず企画発
信できる「動く文学館」を目標にしています。先頃、東北工業大
学の研究者たちに調査を依頼し、独自の青写真造りも進めていま
す。市民はもちろん、市街のかたがたの暖かいご協力、ご支援を
期待しています。                     


  連絡先 岩手県一関市田村町五の四二 世嬉の一内    
                  文学の蔵事務局    

              電話 0191(26)1040

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佐藤清忠@一関高専

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